回顧録③
滋賀本部校|2017年7月6日
東日本大震災の起こった2011年。
当時、私は給湯室でコーヒーを淹れておりました。
この年は、私の中ではこの滋賀での生活の中で
小さくない変化があった年として刻まれております。
野田先生が再び大垣に拠点を移されるという出来事はありました。
ただ、赴任初年度ほどの不安に苛まれることはありませんでした。
私自身の慣れもありますが、何より講師の存在が大きかったように思います。
当時の講師たちも3年目を迎え、生徒対応や電話対応だけでなく、校舎全体に及ぶところまでを
考えてくれるようになっていました。
いえ、そんなことよりも私に適応してくれるようになったと言った方が正しいのかもしれません。
それまで頼られる存在だったものが、いつしか私の方が彼らを頼る側になっていたのです。
必ずしもそれが理想なのかは分かりませんが、この場所は講師たちが作っていくという色が強まりました。
自分たちで連携を取ってどこかへ出かけたり、岐阜の特訓にも精を出すなど、
そのパワーは校舎内にとどまることはありませんでした。
前年度のおかげで活気を呈した校舎は、講師の力でその勢いを持続させられました。
「この子たちがいれば安心だ」という確固たる自信が芽生えた年は、その後の大団円へとつながるのです。
滋賀本部校 宝蔵